竜の魔女



「いらっしゃい、マリア」

 いつも通りにこりと微笑んだ魔女は、今日もまた、ジョウロを持っていた。
「こんにちは、リュッカ」
「今日は、草花が元気。……いつもより、空気がおいしいね」
 女性のような出で立ちの、その魔女。……性別も、年齢も不明。
 その声は、どこか艶やかな響きを持っている。

『私は、君に名乗るような名を持ち合わせていない。
 だから、名乗る時は、リュッカと名乗るようにしてるの』

 初めてマリアと出会った時、リュッカは彼女にそう言った。
 その時、マリアは少し戸惑いつつも、『桃色の魔女』が自分に名乗ってきたことに、少しばかり驚きを現した。
「今日も、紅茶でも飲んでいく?」
「うん。リュッカの入れる紅茶、おいしいから」
「そう」
 肺いっぱいに空気を吸い込むリュッカと、マリア。
 リュッカの言葉に嬉しそうに頷くと、マリアは備え付けの真っ白な椅子に座った。……もちろん、椅子と同じ真っ白なテーブルが、その前に置いてある。
 リュッカはポットやカップを乗せたトレーを持ってくると、それをテーブルの上にそっと置いた。


「君が来てくれると、草花たちも喜ぶ」


 テーブルを挟んで、マリアと反対側の椅子に座りながら、リュッカは彼女に微笑んだ。
 その後ろで、さわさわと草花が風に揺れている。
 ……それはまるで、リュッカが言うように、草花が喜んでいるようにも見えた。

「リュッカは、毎日草花の世話を欠かさないのね」

「それが、日課ですから」
 リュッカがポットからカップへ紅茶を注ぐのを見ながらマリアがそう言うと、リュッカは楽しそうにくすくすと笑った。
 マリアは、リュッカ以外にそうやって笑う人を、知らない。
「いつも世話をしているとね、良い物が育つの。
 それは、魔法薬にした時、すごく効果のある物が得られる」
「やっぱり、リュッカは魔女なのね」
「魔女って言う言葉が正しいかは、分からないけど」
 紅茶を注いだカップを、一つ、マリアの前に置く。
 リュッカは彼女に合わせて紅茶を一口すすると、マリアに向かって微笑んだ。

「マリアこそ、毎日かかさずここに来るね」

 嬉しそうに、リュッカが言葉を漏らす。
 そう言われて、マリアは思わず頬を染めた。

 そう言えば、そうだ。と。

「それだけ好いて貰えてるんだったら、嬉しいな」
 ふふと、女性らしく笑うリュッカ。
 マリアはそれを見て、先ほどよりもずっと、頬を紅潮させた。



 ふと、空を見上げるリュッカ。


 ――雲が、通り過ぎる。



 すぅっと、リュッカの瞳孔が細くなった。
 時々起こるそれに、マリアは未だに慣れずに居た。
「リュッカ……」
 それは、『桃色の魔女』が『竜の魔女』とも言われる由縁。
 そんな時、マリアはリュッカに声を掛けずには居られなかった。



 もし声を掛けなかったら、そのまま、リュッカが変わってしまうのではないかと。

 ――小さな少女ながら、それは怖ろしくて。



「……ん?」
 けれども大抵、それは、リュッカが瞬きをすれば次の瞬間には直っていた。
 ……今回も、それはすぐに直って。
「あ……なんでもない」
 にこりとマリアが微笑むと、リュッカは首を傾げながらも、同じように微笑みを返した。





 慣れた物が、すべて崩れる時が、怖くて。





「紅茶、冷めちゃったね。部屋に入って、淹れ直したのを飲もうか」
 艶やかな声で、リュッカが告げる。
 マリアはそれに頷くと、椅子から立ち上がった。

「……うん!」

 カップとポットをトレーに乗せて。
 歩き始めたリュッカの後ろを、マリアが付いて行く。



 ――それは、これから先……。

 恐らく、まだまだ変わらぬ光景。